Posts
いつだったか、おそらく先週末、The Indifference Engineが平積みされているなぁ、と思いながら本屋を巡回した。 The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA) 作者: 伊藤計劃,岡和田晃 出版社/メーカー: 早川書房 発売日: 2012/03/09 メディア: 文庫 購入: 4人 クリック: 35回 この商品を含むブログ (37件) を見る 伊藤計劃の長編2作を読んだ人に薦めるならこれだろうな、と思う。 おそらく全ての短篇集には、その作家が如何な ...
「贈与経済」論(再録) http://blog.tatsuru.com/2012/04/08_1404.php 4月から新社会人になる皆さんへ http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/03/4-92f8.html サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている (マイナビ新書) 作者: 西内啓 出版社/メーカー: マイナビ 発売日: 2012/03/23 メディア: 新書 購入: 2人 クリック: 85回 こ ...
こんにちは。暫く振りです。 あなたが行った道を、僕は進まないことを選びました。 選んだ、というと違います。選んだことにした、というのが適切です。 ともあれ、僕とあなたは今、まるで違うところに立っています。 空間的にも時間的にも精神的にも? そういう違いが決定的なものになる前に、書いておこうと思いました。 そもそも、こんなことを書くのはお別れの時、あなたの気持ちにまるで共感できなかったからです。 あなたが嫌だ、留まりたいと言いながらその道を進んでいくのを眺め、そして今そこに立っているのを見つめ、そうし ...
舞台袖で台詞を確認する子ども。たった一言の重みに潰されそう。 出番になって同級生と一緒に舞台に出る。台詞の順番まで隅で待機。 震える足、乾く唇、 泳ぐ目。 だけれど、その目は薄明かりの向こうに家族の姿を見る。 見分けの付かない客席の中にあって、それははっきりと見分けられる。 その眼差しが心を軽くする。そして。 きっとあの人は自分を気に掛けているだろう。 あの人の目に自分はどう映るのだろう。 眼差しを感じながら過ごしていく。 晒される不特定多数からの視線は気にならない。 もっと強く自分を方向づける力が ...
インターネットには顔の見えない空間が広がっている。その空間を表現するときに「全員が覆面を被った」とする人と「全員が肉体を脱ぎ捨てた」とする人がいる(とする)。両者は写真のネガとポジの様に似ている。僕はその写真に「インターネット、身体性との付き合い方」とでもタイトルをつけてアルバムにしまおうと思っている。 どちらの立場もまず初めに身体がある。覆面を被せるべき身体が、脱ぎ捨てるべき身体が。インターネットは表現から身体性を切り離す。問題はその切り離し方を各々がどうとらえているかだ。 覆面を被った人には全 ...
Posts
ここ最近、様々な方面の人たちから、僕の人との関わり方についての指摘をいただいたので、ちょっと自省でもしてみようという気分で過ごしている。
中学の頃、僕はいじめられていた、というと語弊があって、自分を持て余している規格外の同級生が取り巻き作って暴れていた、というのが一番近い表現だろうと思う。あの頃、人から何かを言われる度に、自分全部について言われているような気分だった。否定されたらそれは全否定であったし、肯定も全肯定だった。けれど、言われた悪口にいちいち傷付くというのは、今振り返っても馬鹿らしいことだった。無意識からだろうけど、言われた言葉と自分を切り離して考えるようになった。
切り離して考えるようになってから、自虐や気の利いた言い回しが出来るようになったと思う。ちょうど高校時代から。同級生との会話やメールでの雑談も面白くやれていて、それだけでそれまでより随分楽しくて満足していた。自分と相手の言葉だけ取り出して、自分の本当に大事なところだけは傷つけないようにお互いに言葉で刺しあうような遊び。こういう自分と会話の内容との相対化していく経験は誰もがどんな形であれ通過してきたものだと思う、というか思っていた。
大学に入って、暫く経ってから気づいたことがある。僕の言うような相対化が出来てない人は腐るほどいて、それでもうまくやっている、僕のクソみたいな生活よりもまともな大学生活を謳歌している、ということ。これには、本当に驚いた。まだまだ口下手で、だから非リアだってことにしておきたかったのに。口下手だけど人との距離感を掴むのが上手くて、そして自分の意志をハッキリと示せるような人が居る。僕の対極みたいな連中。
僕の言ってることは、優秀な戦士が優秀な司令官だとは限らない、みたいな喩え話に置き換える事ができるかもしれない。戦闘狂は確かにその場その場では勝利するかもしれないけれど、その勝利は大局に影響を及ぼさない。そういう人種は敗戦処理ばかり得意になるように。むしろ武芸はそこそこ嗜んでおけば充分で、それ以上に大局観や用兵術を学ぶべき、みたいなものかもしれない。大局を見据えて、必要なところに必要なだけの戦力を割いていく陣容を描く。そういえば、僕は人との距離感を掴むのが下手で、誤解を覚悟で言うなら、いつのまにか踏み込み過ぎて変に信頼されたり嫌われて後でそれに気付く、みたいなことを繰り返していた。
なんだかんだで言葉遊びの快楽ってのは大きくて、あと何か言うそばから笑ってくれないと不安、みたいなものもあるのかもしれない。ここまで自分の中で言葉遊びジャンキーみたいになってくると治すにしても自分を殺すぐらいの覚悟がいるんじゃないか、みたいに考えてしまう。軌道修正を図るとして、それはどうなんだろ。
さて、あの花の話をしよう。超平和バスターズの話をしよう。
あの花の物語は、夏の獣こと、幼い頃に死んだはずのめんまがじんたんの前に姿を表すところから動き始める。願い事を叶えて、と彼女は言う。
めんまがじんたんの前に現れなかったら、みたいな”もし”をずっと考えている。そういう”もし”の中でのじんたんは、きっと僕らの似姿だろうと考える。
EDに流れるZONEの曲は丁度10年前のものなんだそうだ。10年前、僕はまだ小学生だった。小学生で、既に今の僕が抱える問題を内に秘めていたように思う。
そういうのはきっと誰もが一緒で何か、克服する以前に、向かい合うキッカケが無いまま今まで取り残されて、いつの間にか自分の形を決定づけているような、そういうものは誰もが抱えているんじゃないか。
じんたんや超平和バスターズのメンバーの前には、幸運にもめんまが現れた。自分たちの過ちで死んだ、死んだことで自分たちの過ちになった彼女が。そんな彼女が願い事を叶えて欲しいという。
残念だけど、僕の向きあう現実にはめんまは現れてくれなくて、あの頃を思い出すにはアルバムのページを捲るか、同窓会に出席するしかなく、でもそれは思い出をなぞるだけで、あの頃の気分や失敗をやり直させてはくれないだろう。
ところで、高三の頃の同窓会があるらしい。友達からのメールで知った。
高校時代には僕にだって、そりゃ青春とはいかないまでもそれなりに楽しかった幾つかの思い出がある。
行きたい、という訳でもなく返信もしていない。けれど、今があの頃と比べてより楽しいかだとか、あの頃答えを出せなかった問題に今なら答えられるかだとか、そういう考えてもしょうがないことに頭を巡らしながら、卒アルなんか開いてみたりしながら、高校時代に聴いていた曲をパソコンの中から発掘してみたりしながら、ため息をついてみたりする。どうしたものかな。
20歳で過ごす最後の日に、とても心に残る出来事があって、だからどこかに書き残したいと思った。けれど、どこにどう書き残すべきなのか分からなくて、だからどこにも書き残せないままずっと心のなかにそいつが蟠っていた。短くまとめられるものでもなく、他人にわざわざ読ませるものでもなく、かといって一人で書き殴るだけでは取り留めのない、そのようなこと。
20歳は実りの多い一年だった。つまり課題の多い一年だった。出来ないことが山のようにあって出来たことはほんの少しだった。色々な人に沢山の迷惑をかけて、出来たお礼はほんの少しだった。
だからここは開かれた。僕が心の中に沈んだ蟠りを汲みとって掃き捨てる場所として。私生児のように出生から不幸な望まれない子である。本当はこんなものが存在するのは望ましくなくて、直接伝えられるのならそうすべきだと思う。だけれど、それが出来ない僕には、このような吐き捨てが弱い寄りべとして必要なのだ。仮の宿として。
いつか、僕がすべてに胸を張れる時、ここは捨てていこうと思う。だからそれまで、忘れないために書く。あの日観たこと、聴いたこと、触れたこと、感じたこと、その響きを忘れないように。そしてまた、いつの日か僕がその響きを再現できるまで書き続けようと思う。
Posts
あの花に寄せた自分語り。
秘密基地や、初恋の思い出を脚色、捏造し、振り返っている自分の心境と、あの花に期待することを述べる。
1.あの花を視聴しはじめた理由。
2.あの花を見続ける理由。ここから自分語りへ。
3.幼い頃の思い出。
4.強調されたエピソード。
5.振り返って、あの頃の未来としての今。
6.あの花と自分の今後に何か。
Adobe AIR
Advanced Task Killer Free
AndroNoter
And六法
Apps Organizer
Astrid Tasks
Audiogalaxy
Beluga
Bookmarks to SD
Browse Faster
Browser
Bump
Chrome to Phone
Color
ConTacts
Desktop VisualizeR
Documents
Dolphin Browser Mini
Dr. Timer Jr.
Droid Scan Lite
Dropbox
Earth
EncountMe
EverPaper
Facebook
Foursquare
Goggles
Google Skyマップ
Google翻訳
Gowalla
gReader
g電話帳
Kitchen Timer
LauncherPro
Mind Map Memo
Minimalistic Text
My docomo checker
Picasa plug-in for twicca
picplz
pixiv
Posterous
PreHome
Pulse
QRmeProfileBlow
QRコードスキャナー
ShareMyApps
Simeji
Skype
Smart Alarm Lite
SnapCal
SoundCloud
SoundHound
SwipePad
Syame
Tango
Taskos
TiKL
TkMixiViewer
TLDR
twicca
Ustream
Voice Recorder
WeFi Connect
ぐるなび
はてなココ
はてなフォトライフ
はてなブックマーク
はてなログイン管理
ふりがなオートマチック
アストロ
ウバ無音カメラ Free
カオ帳
ジョルテ
ナマドロイド
ニコニコPlayer(仮)
マクドナルド
マッシュルームパック
モノリス
ヤフオク
ワペディア
家帳風月
求人検索
翻訳プラグイン for twicca
青空読手
ShareMyAppsにて生成しました。
原因:
友人へのiMacレポートの提出。
結果:
ネット閲覧環境の整備、反省。
考察:
約1ヶ月ということで丁度振り返るには良い時期だったんじゃないかな、と。
アドバイスからTwitterからの情報整理が出来た。
はてなには関連URLや各ネタを修正、掘り下げて載せてみよう。
最近、閲覧にしろ投稿にしろ、時間的な近さを感じる。すぐに反応が返ってくる、意外なところに身近な情報が見つかる。
まさかの発見で世界が加速していくように思う。就活は遅々としている。
原因:
http://booktter.com/asin/4022732989
結果:
コミュ力は技術として伝達可能か、という疑問。
考察:
なぜコミュニケーションは先天的な'“力“に依って行われていると解釈されがちなのか。伝承可能な“技術“とする言論は未だに少ない。
相手のどこに注意すべきか、どういう行為がどのような影響を与えるのか。それを体系的にまとめて、科学的な実証で権威付ければ多くの非コミュは救われるのではないか。
その権威として、本書で紹介されているNLPは非常に有効であると思う。
原因:
このブログを見返して。
結果:
構成に悩む。
考察:
最終部が何段落も続くのどうなの。
結果ありきの、原因後付け。
コンセプト通りと言えばその通り。結果と考察を意味通りに書けば割りと様になるか?
原因:
Wordpressのアプリを落とした。
結果:
ブログの住み分けについて悩む。
考察:
余り、読み手に分かりやすい書き分けをしてこなかったのだけれど。
TwitterやらTumblrやらRSSから吸い上げた感想の掃き溜めがここで、はてなが表舞台で、暗いにしか考えてなかったけどどうしようかな。
カテゴリでブログを分けるのは好きじゃないよな。出来る限り色々な情報のカオスであって欲しいよな。文章量で分けるのが相応しいかなぁ。
原因:
誕生日だった。
結果:
何か変われそうな予感がする。
考察:
何をバカな振り返り方を、と思うのだけれどホントにそう感じているのだからしょうがない。
あとで書こう。糸口はあるのだから。
原因:
http://medr.tumblr.com/post/2960085907/twitter
結果:
リンゴォの発言を想起。
考察:
記事についてどんなに思慮深い寸評を残したとしても、それは『対応者』に過ぎないし、これらはシステム上越えられない壁のように思う。
同じ土俵で公平に戦う漆黒なる意思が必要。ベストを譲ってでも、気持ち良い光り輝く道を。
原因:
http://anond.hatelabo.jp/20081117033650
結果:
チャンクアップ/ダウンの違いによって、各々の課題が異なって来るという仮説。
考察:
何かについて考えるときに、自分のところから積み上げて考えていくチャンクアップと、対象の位置から俯瞰して考えるチャンクダウンの二種類がある。
増田の事例はチャンクアップがうまく機能している事例と考えられる。
当然、チャンクダウンがうまく機能する事例も存在するはず。チャンクダウンの思考回路の発端は物そのものなので、対象自体が自分の行動に見合うものなのか、を判断しやすい。つまり、リスク管理がしやすい。
リスク管理まではチャンクダウン、実際の行動の際はチャンクアップ、と切り替えることが必要。チャンクアップのみでは、時間と引き換えにどうしようもない技術や知識を手に入れることになる。
原因:
Androidアプリからの投稿には、初期設定でジオタグが付く。
結果:
記事の削除。
考察:
割りとマジで焦った。
こういうアプリの初期設定は確認しておかないといけない。
そして案外正確だったので、旅先では使ってみたい。
fromdusktildawn (fromdusktildawn)
人間の意識というのは脳だけでは完結していなくて、身体や周囲の環境に広がっている。脳の神経組織は身体や周囲の環境を前提として最適化されているので、環境や身体も含めた全体で一つの情報システムや意識を形成している。だから、環境に過適応した老人を別の環境に移すのは意識の一部を切除する的な
1月24日 12時58分 Twit for Windowsから
人間の意識というのは脳だけでは完結していなくて、身体や周囲の環境に広がっている。脳の神経組織は身体や周囲の環境を前提として最適化されているので、環境や身体も含めた全体で一つの情報システムや意識を形成している。だから、環境に過適応した老人を別の環境に移すのは意識の一部を切除する的な
— fromdusktildawn (@fromdusktildawn) January 24, 2011
結果:
積み重ねられた環境、経験を単一の目的のために消費することを魔法と呼ぶのではないかという仮説。
考察:
一見不可能なことが、それを可能にするためだけに積み重ねられた歴史によって為される。Hackと呼んで差し支えない?
Posts
「意識の低い学生」の特徴のまとめ - fromdusktildawnの雑記帳「意識高い学生の特徴」をもとに、「意識の低い学生」の特徴のリストを作ってみた。 ・どのサークルにも入ってない。入っていたとしても、単に異性目当て。もしくは、遊ぶだけ。運営は中心メンバーに任せっきりで、自分はおんぶにだっこで遊んでる。運営の不手際に対しては他人事のように文句を言う。 ・バイトはしていない。バイトをするのは、単にお金か女の子だけが目的。バイトで社会経験を積んで自分を高めようなどとは思わ...
凡人を馬鹿にする精神性 - opitziuのブログいやー久しぶりに腹抱えて笑った。 アホかと、もうアホかと。夜神月もびっくりの表情で計画通りって叫んだってのは嘘になってしまうから言わないけれど、馬鹿が力を握ると恐ろしいものだなぁって。いやほんとまさかね、びっくりしたよ、ほんと。人格批判やツイッター利用上の注意など、批判の正当性を確固たるものにするだけだから笑った。「ぼくは反論できましぇーーーーん」って宣言したのと同じでしょう。 まぁどうでもいいで...
歪んだ認識が君を呪い殺す。 - マボロシプロダクト長文・その他王子が呪いを掛けられて、カエルになってしまうという童話があるよな。別におれたちは本当にカエルになったりはしないのだけど、「自分自身のことをカエルだと思い込んでしまう」という呪いに縛られることがある。呪いというのは、「他人から刷り込まれたものか、自分で勝手に生み出した価値観や想念で、歪められた現実を信じている状態」だと考えても差し支えない。「おれはカエルだ! 死ぬしかない! 人生のレール...
読み続ける。読まれ続ける。 - Input/Outputある友人と久々に会った時、「お前の家の庭、サクランボの木を植えてたよな」と言われた。そうだね、毎年たくさん実をつけるよ。通学路だったもんな。引っ越してしまった君は知らないだろうけど、あの後ミカンも植えたんだ。あの頃は小さかったけど、ビワの木も大きく育って、去年は実がなったんだよ。そんな話をしてると、これも昔馴染みの女の子が、「よく散歩で通るけど、貴方の家の庭ってよくおじいちゃんが日向ぼっこしてるよ...
読者に媚びてアクセス数を集ようとしているおまえは、何がしたいんだ - opitziuのブログどんなスタイルであれ、感情を揺さぶる記事が書けるブロガーがアクセスを得るという話 - 四十三庵 ふざけんな、クソめ。俺は、「アクセス数を稼ぎたくて」ブログをやっているわけじゃない。アクセスを稼ぎたくてブログをやっているブログと同列に取りあえげられるとかとんだ迷惑だ、下ろせ。俺のブログをそこから下ろせ。自分が書けないレベルの文章を前に、偉そうに神棚に乗せるのはやめろ。ふざけるな。 俺は書きたいことが...
『ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』 ジョシュア・フォア - opitziuの読書メモごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由作者: ジョシュア・フォア,梶浦真美出版社/メーカー: エクスナレッジ発売日: 2011/07/29メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 4人 クリック: 96回この商品を含むブログ (11件) を見る たいていの記憶テクニックは、「凡庸な事柄を、鮮やかで面白く、今までにみたことがない、それゆえに忘れにくいものに変化させて記憶に埋め...
記憶法を使って全米記憶力チャンピオンにはなれるかもしれないが - opitziuのブログ『ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』 ジョシュア・フォア - opitziuの読書メモ さっきまでこの本を読んでいたのだけど、記憶法としてはびっくりするほどよくできている。というか、記憶法に特化している本だから説得力がある。しかし、その実、内容の半分は筆者のストーリーをなぞるだけなのでかなりしんどい。挫折する可能性が高い。 ぼくは「記憶の宮殿」の素晴らしさを1度の読書...
暇人\(^o^)/速報 : ツイッター発祥のコピペ見て鼻で笑おうぜ - ライブドアブログツイッター発祥のコピペ見て鼻で笑おうぜ Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/11(日) 23:30:19.14 ID:hQ8ElSxx0 生理中ってことをオブラートに包んで言うときって、大抵は「女の子の日」って言うんだって大学入ってから知りました。 高校のときは通称「血祭り」か「子宮がWWⅡ」でした。恐るべし女子高。 2:以下、名無しにかわりましてVIP...
Medr 面白みはあるんだが、あたかも自分が体験したかのようにネタを言うのが気持ち悪い ←ブーメラン
はてなブックマーク - opitziuのブログopitziuのブログ opitziu.hatenablog.jp タグ : 人生 ネット コンピュータ・IT 3 users 19 clicks 真性引き篭もり: 誰がブログを殺すのか。 かつて、俺たちはインターネットだった - G.A.W. 「ネットの片隅に咲くドクダミの花の匂い」 - シロクマの屑籠 ある朝、インターネットは死んでいた - さようなら - ファック文芸部 「グローバル化された...
ぼくは、「死んだ」と言われるインターネットの海で「古き良き」インターネットを見つけ、憧れ、羨ましく思った - opitziuのブログ真性引き篭もり: 誰がブログを殺すのか。 かつて、俺たちはインターネットだった - G.A.W. 「ネットの片隅に咲くドクダミの花の匂い」 - シロクマの屑籠 ある朝、インターネットは死んでいた - さようなら - ファック文芸部 「グローバル化された普通基準」の持つ暴力性 古き良きインターネットを破壊したのは何か 読んだ。ツイッターやる時間も忘れてひたすら読んだ。一気に読んだ。すごかった。ぼくの...
「十年後に懐かしいと思える今を、今のお前が創るんだ!」 - シロクマの屑籠執着 ぼくは、「死んだ」と言われるインターネットの海で「古き良き」インターネットを見つけ、憧れ、羨ましく思った - opitziuのブログ リンク先の文章は、ケータイからインターネットを使い始めた世代の人が書いたものという。“昔は良かった”と懐古する中年ネットユーザーなら幾らでも見かけるが、若い世代が、過去のインターネット風俗を“手の届かない黄金時代”のようにまなざすケースがあるのかと、ちょっ...
インターネットの良い部分とソーシャルブックマークコメントについて今さら考えた - やくんの雑記帳たったひとりの馬鹿の存在で壊れるSNS、またはインターネット上での活動を見直すべきいくつかの理由 - opitziuのブログ さっきこの記事を書いたのですが、タイトルを煽ってみたところ9ブクマ付きました。はてなでブログを書いていた時も、最高で2とか3とかだったので素直に嬉しいのですが、インターネットで活動し始めて間もない俺にとってちょっとわからん文化が入り込んできたので、ULOGのチュートリアルの...
魂ウェブ | 魂アイテム > D-Arts メタビー2010年11月の「ウォーグレイモン」の発売を皮切りに、新世代デジタルキャラクターをバラエティに富んだラインナップで立体化し続けているアクションフィギュアブランド『D-Arts』。 10代後半から20代の絶大な支持を受けている本ブランドに、ファン待望の「メタビー」が遂にラインナップされます。 今回の魂アイテムでは『メダロット』ファンは当然、ロボットトイ / アクションフィギュアファンも納得の完成度...
伊藤計劃「ハーモニー」 - モナドの方へ生体情報のすべてが管理された社会でおこる事件と、巨大なパラダイムシフトの物語。一読、問いとしては最高に面白い、しかしストーリー&オチはやや不満であった。まず読んでいて気になったのがetmlで、この記法が気になって気になってなかなか読み進めなかったほどだ。たとえば というような表記があるんだけど、これじゃ文章の部分が修飾できないよ!と出てくるたびにつっこみを入れてしまった。またその使い方にも気になる...
非モテは今すぐこれを読め 非モテへの処方箋 - noshyhtの日記Twitterで記事が流れてきた。一年前の記事でも誰かが掘り起こせば見ることができる環境には感謝するが読了後の感想としては逆に読まなかったほうがよかったかもしれない。と、思う程度に。それからこの記事はもしかしたら増田に書くべきなのかもしれないし増田の方がここで書くよりもより多くの人に見てもらえるかも知れない。その代わり増田書けばこれを誰が書いたかということが分からないしあとで「これは僕が書きました...
Medr 告白せずに恋仲になる>告白する>>>>告白できずにウダウダ言ってる
フリーライター・石井政之の書評ブログ : 『勤めないという生き方』森健(メディアファクトリー)石井政之 (いしい・まさゆき) フリーライター。 自称「顔にアザをもつジャーナリスト」として文筆、映画製作などの表現活動を行う。 顔にアザや傷のある人たちを支援するNPO法人ユニークフェイス代表理事も務める。 著書に『顔面バカ一代』(講談社文庫)、『肉体不平等』(平凡社新書)他多数。「哲学カフェ浜松」主宰 --->石井政之HPへ →bookwebで購入 「「どうしてもしたいこと」と「とりあえず生活...
小さな変化が人生を変える。30日単位の人生ハック | Lifehacking.jpたった30日でいいので、人生に何かを「足してみる」あるいは「引いてみる」。すると大きな変化が起こります。 Google検索のエンジニアとしてよく登場するMatt CuttsがGoogle I/O Ignite で自分の人生で試してみている「30日の実験」について話しています。 多くの人が話していますので、Mattの登場するのは以下の動画の30分目あたりからです。 30日で人生に「足し」「引き」をす...
Medr 六月は祝日がない。
スラックス・トラウザーズとチノパンの違いは? - レディース - 教えて!goo質問 Check Tweet スラックス・トラウザーズとチノパンの違いは?役に立った:11件 質問者:innteru 投稿日時:2007/02/15 23:52 困り度: 今度オークションにズボンを出品しようと思うのですが、出品するときにカテゴリーを選ぶのですがスラックス・トラウザーズとチノパンというカテゴリーがあるのですが、スラックス・トラウザーズとチノパンはどのような点が違うのでしょうか?教え...
Medr これはすごい。
勝利 - ゲーム関連資料たとえば、『ひぐらしのなく頃に』シリーズにおける(以下、反転して読んでください)古手梨花の振る舞いなどがこれにあたると言ってよい。古手梨花は、雛見沢村のゲームの勝利条件(昭和58年の6月を終わらせること)はなしえないわけだが、雛見沢村において「強い」存在にはどんどんと近づいていくことになる。「勝利条件」に到達することが不可能だと気づいた彼女は、長年「諦め」を抱くことによって、精神的に適応し、状況に...
暇人\(^o^)/速報 : ネイティブ・アメリカンの教えを貼ってく - ライブドアブログネイティブ・アメリカンの教えを貼ってく Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/10(火) 19:30:00.77 ID:PJozO+mv0 批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします 2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/10(火) 19:30:37.01 ID:PJozO+mv0 ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをして...
Posts
人生には一夜だけ、思い出に永遠に残るような夜があるにちがいない。誰にでもそういう一夜があるはずだ。そして、もしそういう夜が近づいていると感じ、今夜がその特別な夜になりそうだと気づいたなら、すかさず飛びつき、疑いをはさまず、以後決して他言してはならない。というのは、もし見逃せば、ふたたびそういう夜が来るとはかぎらないからだ。逃した人びとは多い。たくさんの人びとが逃し、二度とめぐりあっていない。なぜならそれは天気、光、月、時刻というすべての条件、夜の丘と暖かい草と列車と町と距離が、ふるえる指の上で絶妙のバランスをとった瞬間にあらわれる夜だからだ。
壁にカカトと背中と頭つけて立つ。その際、腰の辺りに拳かもうちょい狭くでもいいから空ける。
腰椎を自然なsを描きつつも頭はしっかり壁につける。
もちろん背中もつける。
猫背の奴ほどキツイはずだ。
身長高くなった錯覚あるはずだ。呼吸も楽なはず。
呼吸が楽に深く大きくできると、精神もリラックスする。
気持ちも大きくなる。自信がみなぎる。
逆に精神的不安あると猫背になりやすい。呼吸は浅くなり胃腸も弱くなる。
世間的に後ろめたいことはやるなw万病のもと。
これを最低5分。10分やれ。
一日3回やればなおよし。
ちなみにO脚も治る。
病院勤務柔整師より
デスマーチがなくならない理由の一つは、デスマーチをどうにかしてしまう人たちがいるから。というかその手の人たちの中には緊急事態になると実に生き生きとしだし、炎上をエンジョイというか、プロジェクトが燃えてるなら俺も燃えるぜというか、非常事態になってから「こんなこともあろうかと思って用意しておいたのさ」と新兵器を投入するマッドサイエンティストのような振る舞いになる人たちもいる。
(via 腹が減って、頭が回らん S… - マーク・ザッカーバーグからの手紙 - はてなセリフ)
あれ、この訳であっているような気がしてきた…。
いい訳だ
カフェミスト…コーヒー牛乳
カプチーノ…コーヒー牛乳
カフェラテ…コーヒー牛乳
カフェモカ…コーヒー牛乳
キャラメルマキアート…コーヒー牛乳
ある商品がもつ記号が理解されるのは、その記号が含まれる記号体系が社会のメンバーによって共有されているからである。このように記号体系は本来的に公共的なものである。ボードリヤールの議論は「セミオクラシー(記号支配)」という概念に集約される。すなわち欲求も自我も、記号が分節化し構造化されてゆく過程で体系が産み出すシュミラークルなものに過ぎないのである(Baudrillard 1981)。 このように、進歩史観的な消費論が想定する消費者主権と、ボードリヤールの記号論的世界は明らかに齟齬をきたしている。しかし、分衆論にせよ消費記号論にせよ、ボードリヤールの議論を我田引水的に解釈することで、この矛盾は見過ごされているようである。
(中略)
マーケティング・コンセプトは顧客志向を標榜する。当然、企業のマーケティング活動の指針は、消費者欲求の変化ということになる。ただし、ここで想定されている消費者欲求の変化は「進化」に限定されているこのに注意すべきである。顧客志向を標榜する者にとって、かつてガルブレイス(Galbraith 1958)が指摘したような消費者欲求の画一化や生産者による操作という「退歩」は想定しにくいし、指摘もしにくいのである。このようにマーケティングの世界では、消費者は本来的に進歩する存在なのである。 進歩史観手な消費論がマーケティングの世界で支配的であり続ける理由は、ここに見出すことができる。またこのように考えるならば、ボードリヤールの記号論的分析を消費論に取り込む際に、都合の悪い部分、つまり消費者の主体性を否定する悲観的な部分が無視されたのも当然のことである。
そうなんだよなー。
ボードリヤールの記号論が魔改造されて、マーケティングと結合してしまった以上、「『ビジネスモデル』として……批評はまったくなんの役割も果たしていない」と単純に言い切ることはできなくなっちゃったんだよね。
たとえそれがマーケターや企業の幻想(「俺たちがあいつらの購買様式を制御しているんだぜ、ヒャッハー!」)にすぎないかもしれないにせよ。
業界としての批評も、かなり積極的に広告として利用されてきたし。
ただ、現在はその輝き(アウラ!)は相当失われているようにみえるけれど。
批評はマーケティングに伏流する。
この手の文章はまったく理解できない。これ何語?
http://bgnori.tumblr.com/post/17199536228
日本語ですよ!
でも、ボードリヤールの記号論など前提知識が必要なので、少し説明を試みてみましょう。
仮に、服を一着しか持っていない人たちが豊かになったら、どうなるか。2着目を買えば洗い替えになり、もう少し買えば夏用や冬用など季節にあったものを持てるようになります。では、それ以降は?彼らは満足するでしょうか。おそらく、とっかえひっかえ服を買う人も出てくるでしょう(女性が多いかもしれませんね)。
ここで合理的な思考をもつ人は不思議に思うかもしれません。「なんで、そんなに無駄な物を買うんだ!?」(どこかで聞いたことのある嘆きです。)
この不合理にみえる欲望や選択を説明しようとしたのがボードリヤールです。彼は「記号」という発想をもって、消費行動を解き明かしました。それは要するに、服そのものではなく、「イメージ」を身にまとっているのだ、というものです。
このボードリヤールの説明は、「ブランドモノをありがたがる奴は馬鹿。品質や機能には関係なく、マークさえついてりゃ、自慢できて満足なんだろ?」という(これもまたどこかで聞いたことのある)議論とは少し異なっています。
ボードリヤールの説明だと「プラダをもった私」だけでなく「しまむらを着る僕」も説明できるのです。しまむらは、ご承知のとおり、郊外型の衣料品店です。プラダとは違って「権威付け」に用いられることは、あまり考えられないでしょう。しかし、しまむらを着ていると、郊外に住んでいて、週末には両親が自動車に乗って国道沿いのショッピングモールに出かける、など特定のイメージが想起されます。あるいは、服にはあまり興味がなくて母親任せにしている、というような印象を持たれるかもしれません。
ほかにも「プリウスに乗る私」「iPad2を操る俺」「一眼レフで写真を撮るわたし」「ロードバイクに乗る僕」などなど色々なイメージのバージョンがありえます。
つまり、商品は雄弁なイメージをともない、消費はコミュニケーションとして機能しうるのです。
ただ、そのイメージは、特定の文脈に依存しています。たとえば、ナデシコのルリが好きでエヴァのレイは好きじゃないといっても「一般人」はよく理解できないでしょうし、LISPを褒めちぎってJAVAを貶しても門外漢には何のことやらわからないでしょう(bgnoriさんが、記号論を「何語?」と感じたように。)。
これが、「ある商品がもつ記号が理解されるのは、その記号が含まれる記号体系が社会のメンバーによって共有されているからである」という意味です。ルリとレイの違いを理解するには、アニメの体系を共有していなければならず、LISP信者の話を理解するにはプログラミングについての知識が必要です。
そうすると、個人の消費行動は、こうした体系に従うしかないのではないかという疑義が生じてくるでしょう。ボードリヤールは、消費者が主体性を失っているのではないかとやや悲観的な想定をしているのです。
以上、「消費社会の神話と構造」の話を、かなり丸めて説明しました(誤りがあれば、どなたかコメントしてください。)。
ボードリヤールをより深く理解したいなら、その前提となるソシュールの言語論や、日本での受容形態のひとつとしての大塚英志「物語消費論」などをおさえるとよいと思います。
(via inf)kagurazakaundergroundresistance:
Heck Rind / Heck Cattle (via FlygareT.orsten)
(via 54kan)
64 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2011/07/13(水) 13:11:44.45 ID:s2Ljsizk0
客「おい!お客様は神様じゃねーのかよ!!」
店員「鎮まれ…! 鎮まりたまえ!!
さぞかし名のある山の主と見受けたが、なにゆえそのように荒ぶるのか!!」客「はぁぁ!?意味わかんねーよ!!!」
ドガッ!!(店員が客の目に矢を射る音)
客「ギャアアアアアアアアアアアア!!!」店員2「いずこから来し荒ぶる神とは存ぜぬも、かしこみかしこみ申す。
この地に塚を築きあなたの御霊を御祭します。恨みを忘れ、静まりたまえ……」客「汚らわしい人間どもよ 我が怒りと憎しみを知るがいい……」
ブジュウウウゥゥゥゥゥ……(客が溶けて腐り落ちていく音)
自由は発想法を身につけるにはどうすれば良いのか議論する時に、右脳左脳というような枠をはめることは自己矛盾以外の何者でもないだろう。この程度の事は、少し考えるとわかるはずだが気づかない。あるいは言われても理解できない人が多い。なぜか。今の日本では、ものをきちんと考える人間が少なくなっているからである。まともに考え、自分の言葉を持っている人間は、十人に一人いるかどうかだろう。本来、考えない人間に創造性を求めても、無理な話なのだ。何しろ、「考える」ことを学ばせるはずの教育の現場で、生徒学生達に十分に考えさせる事無く卒業させてしまう。医学部の入試で、小論文の出題を担当した事があるが、ある年、ヴェトナム戦争で母親が子供を抱いて涙を流している写真を見せ、どんなことでもいいから感想を書きなさいと出題した。まともに自分で考える受験生が多ければ、色々な答えが出てくるのが自然だろう。ところが、どれも殆ど同じ内容で、最後は、医学の為に云々というオチがついているところまで似ていた。小論文のまとめ方のパターンを受験テクニックで教えられ、それに忠実に従って書いただけの内容なのだ。出題写真を見て自分で考え、その感想を書いた受験生はごく少数しかいなかった。
仮に、「こんな写真を見せられて胸がいっぱいになりました。悲しみでとても感想などは書けません」というような、ロボットではなく、人間が書いたような感想文があったとしたら、私なら満点を出しただろう。ただし、これは学生達が悪いわけではない。考えない方が目的に早く到達できるシステムになっているからだ。偏差値の高い学生程、このことに早い段階で気づいている。そこで教師の言うままに知識を吸収し、優秀な学生として卒業していく。
ところが、彼らは入社してから創造力、ひらめき、独自の発想等を求められることになる。しかし、それは「考えず」に育って来た彼らにとって、最も厳しい種類の課題で、中には何を期待されてるのかわからない人間もいるだろう。企業の側にも大きな矛盾がある。殆どの企業は、偏差値の高い大学の成績優秀な学生に真っ先に目を付けるが、採用担当者自身が真剣に人材の発掘を考えているなら、独自の判断があってしかるべきである。ところが、決まりきった基準で社員を採用し、後で創造性豊かな社員がいないと嘆く事になる。企業側も考えていないのである。
あなたの脳にはクセがある―「都市主義」の限界 (中公文庫)pp107-108
3 : 世界@名無史さん : 2011/01/25(火) 22:51:45 0
スターリン主義が本当に恐ろしいのは、
大粛清期に日本やドイツのスパイだと看做されて処刑された共産主義者の少なからずが、
自分は不幸な例外で党は誤っておらず、むしろ自分が処刑されることで
党の権威が守られるならば本望だと考えながら処刑されていったところか。
スターリン自身、日本やドイツのスパイだとして処刑した党幹部が、
死後実は本当に無実だったことを知ってショックを受けてるフシがあったり、
あるいは、大粛清そのものもは「古参ボルシェヴィキ」の寡頭支配に対抗して、
労働者のための「党内民主化」を理由に行われたという性格があるんだけれども、
(構図としては今の日本の貧乏人の公務員叩きに近い)
この大粛清で党幹部のポストが空くことで、利益を得た少なくない人々が
スターリンを支持してたりする辺りが、単なる大虐殺以上の恐怖。
虐殺なんて歴史上幾らでもあるけれども、これだけ不可解な哲学的背景を持った虐殺はスターリン主義ぐらいでは。
それでもソ連のグラーグは、アウシュビッツが生んだような「回教徒」を生まなかったことは、
スターリン主義がナチズムよりは優れていた所以だと思うけどね。
脳の中では、時空は相対的である。それは例えば、聴覚路の中に位置する神経細胞の性質に表れる。我々は、音源の位置を、左右の耳に入る音の時間差によって検出する。もっとも、時間を時計で計るわけではない。音の速度は、一秒間に三百メートルを超える。他方、左右の耳の間の距離は、大きく見積もって十センチ、音源は勝手な位置に来るから。左右の耳に入る音の時間差は、この十センチ以下の距離を、耳や脳がどう測るかによって決まる。秒速数百メートルの音が、数センチの距離を移動する際の時間は、ミリ病よりも下の桁になるから、これはマイクロ秒の世界である。そうした時間差は、神経細胞の配列によって実に上手く検出される。この時に、神経細胞がやっていることは、マイクロ秒という時間を、空間に翻訳する事である。とういより、ここでは初めから、時空は相対的なのである。
毒にも薬にもなる話 (中公文庫)
p.214
69 名前:名無しさん@涙目です。(東京都)[] 投稿日:2011/06/29(水) 21:42:53.50 ID:10fKSzOCP
一番ガチキチなのはこども医者だよな
過去からの一切合切を切り離そうとしていたポル・ポト政権にとって、
旧体制文化の名残りでもある人間は、すべて病原菌なのであった。
病原菌は、速やかに駆除しなければならないというのが彼らの理論だった。踊り子や歌手を始め、僧侶、医者、看護婦、教師、芸術家に至るまで、技術を持つ者、知識人は、すべて処刑の対象となった。
都市に住みメガネをかけているだけで知識階級と見なされ殺されたのだ。
それは、まるで、腐った果実は、まとめて処分するように、無造作に一カ所に集められて殺されたのである。その結果、頭の中に旧来の知識を全く持たない子供だけが重視されるようになっていった。
大人は、信用出来ず、信じられるものは、子供だけになった。
子供は、大人よりも重大な仕事につくことになり、子供兵士、子供看守、子供医師という特異な存在が次々と生み出されていったのである。中には、全く字も読めないような医師さえもいた。
彼らは、名目だけの3か月程度のにわか仕込みの教育を受けて、医療業務をまかされたのである。
子供医師にかかり注射を受けた者の多くは、傷口が化膿した。
腫瘍が腫れ上がり体全体に広がり命を落とす者が続出した。多くの者は、医療の知識もなく、ろくに消毒もせず注射をしようとする子供医師を恐れた。
彼らは、手術すら行うこともあったが、しかし、その実体は、人体実験に等しいものだった。
生きたままを柱にくくりつけられ、大きな切り口をつけられ、傷口を両側に押し広げられて即死した哀れな患者もいたのだ。
起こった事を消すというのは、どういうことであろうか。例えば教育勅語を例にとってみよう。日本の百科事典には、教育勅語という項目が会って、その説明はある。しかし、あの短い文章の全文を載せたものは無い。それはかつて山本七平が指摘した事である。私も同じ経験がある。たまたま原稿を書くのに教育勅語の原文が知りたかったのだが、辞書に載っていない。そういうことがあって、橿原神宮で五百円で買った直後を利用した覚えがある。ところがリンカーンのゲティスバーグの演説「人民の人民による人民の為の…」というあの有名な演説は、なんと英文で全文が日本の百科事典に載っていたのである。つまり教育勅語も歴史を消した例であろう。文章自体を徹底的に「消した」わけであろう。ところが、これは田中澄江氏が随筆にかいたことでもあるが、教育勅語の精神は残っているのである。どういうことかというと、あの勅語が出来た当時の文部大臣は、東京府知事を務めた事のある芳川顕正という人である。その人の言った事として、記録されている事がある。それはあの中に、つまり勅語の中に、入れなかったものが2つある、それは宗教と哲学だ、と。当時の文部大臣はそう述べたのである。開国和親となって、明治政府が一番警戒したのはキリスト教である。しかし西洋諸国との関係から、江戸時代のように表立って禁教令を発するわけにも行かない。その意味もあって、教育勅語が作られたという。あれを読むと良くわかるが、悪い事は何一つ書いてない。それは、今でも勅語を暗記している人には明白であろう。ただしどうしてそうしなければならないか、それだけは確かに書いていない。「なぜか」は哲学の問題だから、それは書かれていないのであろう。
教育勅語は消された。だが、それがどうしたのか。私が言いたいのは、消された事ではない。生き残った事の方である。今でも日本の公教育では、まず絶対に哲学と宗教には触れない。先生方は、そういう話に触れる事は、「なにかよくないこと」だと信じている。公教育の先生方に個人的に聞いてみて確かめた事もある。つまり公教育で哲学なり宗教なりを教えるのは、実はタブーなのである。それは教育勅語が「無意識に」生きている事であろう。つまり「歴史を消す」というが、それはそう単純ではない。意識の上から消すと、無意識には残るものがある。その典型が教育勅語であろう。こうしたことこそが、実は恐らく「和魂洋才」と呼ばれたものではないか。私はそう疑っている。
大和魂とか和魂とかいうものは、意識的に説明は出来ない。つまりそれは、すでに述べた非成文憲法なのである。ここでは「公教育では、宗教と哲学を扱わない」というのが、非成文憲法なのである。それを私がこうしてここで文字にしてしまうのは、おそらく規則違反なのであろう。
「歴史を消す歴史」、それを遡ればどこまでいくか。私はその意味で『古事記』と『日本書紀』を疑っている。あれもおそらく、それ以前の時代を消す工夫であろう。藤原道真は和魂漢才と言ったというが、千年や二千年では日本共同体は変わらないと思う。