ゴールデンウィークも終わりが見えてきたので、一足先に実家を出て西へ。相模原でChesterCopperpotがワンマンライブをするというので行ってきました。
ChesterCopperpotは私がライブハウスに通うようになって初めて観たバンドのひとつ。だからもう8、9年の付き合いになります。その日は他のバンドを観に行ったのですが、物販で半ば強引にCDを買わされた結果、今まで聴き続けているという妙な縁です。
相模原はメンバー全員の出身地。サン・エールさがみはらという市民ホールのような場所を借りての、異色のライブでした。
うっかり開演時刻を1時間も間違えてリハ中のホールを覗き込んでしまった私は慌てて退散。時間合わせも兼ねて、彼らのCDのジャケットにもなった相模原西門商店街の岡本太郎「呼ぶ赤い手・青い手」像を観に行ってきました(隣駅だし意外と遠くて、往復ダッシュした結果戻ってくる頃には汗だくでした…けど本物を見て感激!)。
ホールへ戻ってきて間もなく開演。ヤノケンが「ワントゥースリーフォー!」と叫んだので「もしやあの曲?」と思ったら次から次へと曲が変わっていくイントロメドレー。活動を休止してから今年再開するまでの5年間がぎゅっと縮んで、初めて観た頃から今までの記憶がまぜこぜになる感じ。歳を重ね、家族を持ち、あの頃とは少し違った雰囲気を纏いつつも、懐かしさも新しさも区別ないままわくわくするものを目の前に広げてくれる感覚はまさに私の好きなチェスターでした。
すっかり記憶が薄れていた好きな曲、友達が歌詞に文句を言っていた曲、あのライブハウスで聴いた曲。あの頃ピンとこなかった曲が思いのほか胸に染みたとき、歳を重ねたのは彼らだけじゃなく私もそうなのだと感じました。今なら彼らの曲をあの頃と違ったふうに聴けるかもしれません。そんなタイミングで彼らと再会することができたことを、とても幸せに思います。
「コザイム」「もういいかい」「春うらら」「絶望的夜空」…とかとか。聴けてよかったです。
外に出ると、夕焼けだったはずの空はもうすっかり夜空。スーパームーンと呼ばれるいつもより少し大きな月を見ながら帰りました。
ゴールデンウィークなので、実家に帰ってきました。このところ「実家に帰る」といっても日帰りだったり一晩泊まってすぐ東京に戻ったりしていたので、たまにはゆっくり、と思って2泊3日で。それに先日は知らぬ間に母が喀血で入院していた、なんてこともあったばかりなので様子を見に帰ることにしたのでした。
手ぶらで帰るのもなんだし、両親はあまり東京に出てくることもないので、渋谷で何か買って帰ることにしました。みんなで食べるおやつのお茶請けは何がいいかな、何だったら喜んでくれるかな、といろいろ迷って、舟和の芋ようかんを買いました。けれどお土産を持ってきてもなかなか素直に喜ばないのが我が家。大したリアクションもなく、「最初はそんなでもなかったけど最後あーまい」という全然甘くない講評を頂いておやつの時間は終わりました。全くもって素直じゃないところは親譲りだな、とただただため息をつくばかりでした(なので皆さん、その点に関しては残念ですが諦めてください)。
しかし、困ったことに、いくらお土産を買って帰っても、いくらプレゼントを用意しても、2倍にも3倍にもして返してくるので到底及ばないのです。おいしいごはん、広いお風呂、朝寝坊、散歩、温かい布団。帰りに持ちきれなくて逆に厄介なほどの食料を持たせてくれることもあります。わりとこまめに帰省しているのに、これでもかというくらいもてなしてくれるのです。いくらお礼の言葉を述べても、いくらお礼の品を差し出しても、一向に追いつきません。
ああそうか、「親孝行できた」と思える日は永遠に来ないのだな、と、うすぼんやりと分かった気がしました。だからこそ少しでも追いつけるようにたくさん感謝しよう、とも。
友達や周りの人たちに対しても思うのです。ありがとうってちゃんと言えたかな、感謝の気持ちは伝わったかな。相手が大切であればあるほど不安になるし、ちゃんと伝えなくちゃ、と思います。きっと受け取った分には及ばないけれど、それでも少しでも返したい、受け取ったことだけでも伝えたい。そう思います。なかなか実行に移せていないけれど。
明日、東京に戻ります。両親とも(とりあえずは)元気そうでよかった。また一緒に食卓を囲めてよかった。また帰ってくるから、元気で待っていてください。いつもありがとう。
KAIKOO POPWAVE FESTIVAL ’12に行ってきました。初恋の嵐が出演するとのことで、翌週のARABAKIとどっちにしようか迷ったものの、近場のKAIKOOに決めました。運良く友人からチケットを譲り受け、ゆりかもめに乗って船の科学館へ。初めて行きます。
ゆりかもめに乗ると汐留からお台場あたりをぐるっと回ります。高層ビルが立ち並び、無駄のない整然とした都市が続きます。一見、味気なく寂しい風景のようにも感じます。けれどよくよく見るとそこには公園のブランコを揺らす子供がいて、小学校があって、スーパーの前の道には車が停まっていました。「ああ、ここも誰かのホームタウンなんだな」と思いました。
着いてリストバンドを引き換え、すぐに向かったのは初恋の嵐のステージ。イベントとしてはかなり早い出番だったため、人出こそまばらでしたが、私は行ってよかったと思っています。アナログフィッシュ佐々木さんを迎えての「untitled」、風貌がまるで西山さんのようで、10年経った今もあのまま時間が続いていたらこんな感じだったのかな、と思い浮かべました。とても独特な「untitled」でした。
初恋の嵐のゲストボーカルライブがいいなあ、と思うのは、ボーカルが西山達郎じゃないところです。当たり前ですが。みんな西山さんになろうとせずに、思い思いに自分の節で歌う。何だかそれが逆に「2012年にいたかもしれない」西山さんを浮かび上がらせているように思うし、「2012年にいる」初恋の嵐のスタイルなんだろうなあ、と思います。
早々に初恋の嵐が終わり、もう知ってるミュージシャンも出ないし日暮れ前に帰ろうかな、と思いながらTwitterを見ていると、友人が来ているとのこと。フードコートで待ち合わせて、会ってみることにしました。
友人は職場の先輩2人と来ていて、私が一人で来たことに少し驚いていました。この後観に行くつもりのステージをいくつか教えてくれ、また後で、と言って人ごみの中に消えていきました。
だってフェスってチケット代が高いし体力が要るから誘いづらいんだもん。と思いつつ、とても心細かったのも正直なところで。私は友人に教えてもらったステージを点々と回ってみることにしました。ユザーン、80KIDS、在日ファンク、ブンブンサテライツ。普段全然聴かないバンドばかりでしたが、途中から雨も降りだしてびしょびしょでしたが、そんなことどうでもよかったのです。これまで聴いてこなかった、こんなことでもなければ聴かなかったはずの音楽が、こんなに楽しいなんて!
途中で合流したもののモッシュではぐれた友人ご一行と新橋で再会し、居酒屋で打ち上げ。飲んで、食べて、ライブの感想やどうでもいい幕間の与太話を好き好きに喋り合いました。
はーそっか。これだ。これがあるからフェスって楽しいんだ。誰かのオススメに乗ってみたり、待ち合わせをしたり、感想を共有したり。お昼過ぎの私と、友人と合流してからの私とでは気持ちが全然違うな。後半、本当に楽しかったもの。何だかちょっと分かった気がしました。
フェス、また行きたいな。夏が楽しみになりました。
想像の中を歩くことって、よくあると思うのです。寝ぼけたことを言っていると思われるかもしれませんが。
雨が降っている街を歩くとします。私は東京に住んでいて、首都高の下の騒がしい一本道を歩くことになるのですが、大抵は何の感慨もありません。けれども、例えば同じように京都の大通りを雨降る中歩いていると、同じ雨でもきっと趣が感じられるし、とても美しい風景に見えてくるのではないかと思います。
思い込みの中を歩いている、と言ってもよいかもしれません。
それなら、逆手にとって、ここが思い入れのある遠い街だと想像してみましょう。その街に合う、その街でよく聴いた音楽をiPodから流してみましょう。斜め前のアスファルトではなく、10mか50mか、いくらか先を歩く人の頭上を眺めてみましょう。見慣れた風景が、あなたの思う遠い街とリンクしてきませんか。
私たちは、たぶん想像の中を歩くことができます。
「こんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくの」と
(小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」より)
旅は道連れ世は情け、と言います。旅に出る時は人をどんどん巻き込むのがよい、世の人様にたくさんお世話になるのが旅である。今まで考えたことなんてなかったけれど、そういう意味なのかなあ、と受け取りました。
私は、旅が好きです。旅から帰ってきて「ただいま」と言うときの安心感が好きです。「家に帰るまでが遠足ですよ」校長先生はいいことを言うなあ、と今さらながら思います。
遠くの町には、知らないものがたくさんあって、見たことのないものがたくさんあって、一つ一つに感動します。普段会えない人と会うことも新鮮で、素晴らしいなあ、来てよかったなあ、と思います。
けれど何よりも感動するのは、住み慣れた、見飽きた町に戻ってきて足を踏み入れる一歩目の瞬間だったりするのです。「うわああ帰ってきたああああ!」と叫びながら大きく背伸びをする瞬間には、どういうわけか見飽きたはずの町が過去最高に美しく見えるのです。
先日、小沢健二コンサート「東京の街が奏でる」を観てきました。「ひふみよ」ツアーは日本に帰ってきたコンサートでしたが、ようやく小沢健二は長く濃い時間を過ごしたであろう東京の街に帰ってきたのだなあ、と思いました。楽しいこともいやなこともあった、見飽きた東京の街が、何だかんだ言っても彼のホームなんじゃないかなあ。そう思いました。
先週、笠間へ行ってきました。広くて静かで少し寒くて、その分優しく温かい町でした。背伸びをしたり、大の字に寝転がったり、深呼吸したり、本当に気持ち良かった。東京にはないものが笠間にはたくさんあったし、帰り道は名残惜しい気持ちでいっぱいでしたが、東京に帰ってきて、車がびゅんびゅん走る夜の国道沿いを一人で歩いているときにふと「ああ、帰ってきたなあ」と幸せな気持ちになりました。
まだ見飽きてはいないけれど、何だかんだ言っても、私は東京という町が好きなんだと思います。
買った・買わないかもしれないが顧客情報をくださいというような「購買の瞬間」をとる従来型のコミュニケーションから「購買の前後」のコミュニケーションを行うことで、ファンの拡大ができるものと考えています。
公式アカウントをフォロー/いいね!してない人は結構いる。私が言うのもアレだけど、分からなくもない。
そうかも。テレビとソーシャルメディアを単純にくっつけてもお茶の間感は出ない。
男女で好むUIに違いがあるというのは面白い発見。普段スマホで見たり使ったりしてるサイトやアプリに依存するのかな。
「音符の組み合わせは無限大にある。ここまで似るのはパクリ以外ありえない」
いいや、違う。いいフレーズは有限で、しかもオリジナルの余地は僅少。
似ている曲が世界中のどこにあってもおかしくない時代。
音楽学校にいきゃ、このくらいはまっさきに教わる。
それだけ人間が音楽を愛してきた歴史が長いんだ。
相当悩んだんですけど、最終的には「映像で全編観て満足してしまう人は、元々劇場に来ないから気にしなくていいんじゃないか」という思いが強かったので、公演期間中にもかかわらず、全編を配信しましたね。
かつてない体験への感想は当たり前のことでも書き出すことが大事だな。そんなに大きな驚きはないけどとても重要なレポートだと思う。
これは毎年ざっとさらっておくべきだと思ってます。ネタ的にも仕事的にも。今年はソシャゲとか萌えとかヲタ路線全盛の印象。
必ずしも商品を扱わなくてもよいわけですね。なるほど。目からうろこ。
こういうのを目の当たりにすると「モノが良ければ広まる」というのは、やはり何か違うんだなぁと。
「死ぬのは生きるより難儀」すごい重みある言葉だな。人はとてもあっけなく死ぬけど、死ぬことはとても難しいことなんだな。へんなの。
“ソーシャル・キャピタルの無駄遣い”“簡単にいえば「誰でもPOLYSICSになれる」ということ”。ポリかっこいい。
奇抜なことをすりゃいいってもんじゃないよねえ。そうそう、ベタなルールは守っておくほうが使い手にはやさしい。
宮城、福島のネットユーザーが近県から突出しているのはいろいろ推察されて衝撃的。
世界に競合するサービスがある(=ニーズがある)領域に対し、+αの価値を持ったサービスを素早く提供し続けることにより、 「理解」のためのマーケティングコストを圧縮することが出来ます。
普通の子供より、間違っておしりを出している子の方がよりつっこみやすく、よりリツイートされ、いいね!も押されるのは想像できます。
「ソーシャルはプロダクトじゃないんだよ」―僕のデモを見終わると娘はこう言った。「 ソーシャルは人。で、人はFacebookにいるの」。