Yutaka Iida

Assistant Professor of Fukuyama University

Media Studies, Media History

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「iPadの説明するけぇ、よう聞きんさい。」

ドット・コムの総数が右肩上がりであれば、消費者は、結果として、消費者としての恩恵をいっそう受けるように思える。しかし、問題がある。広範な証拠に裏づけされているが、商品やサービスの経験は主に他の人たちが所有しているものの産物であって、各自の消費財が一般的に向上する場合でも人々の幸福に変化はほとんどない。

(中略)

新テクノロジーは、疑いなく消費者の購買を簡単に、そして便利にしてくれている。その範囲では助かるが、われわれが通常考えているほどの助けにはなっていない。なぜならば、新テクノロジーは、多くの場合、消費者の生活を向上させることなく、消費のトレッドミルを加速させているからだ。市民は、自らの行動や生活を顧みれば、この事実に気づく。われわれは市民として、トレッドミルを減速させるか、現在トレッドミルに注ぎ込まれている資源をより良い使用目的に向けるような選択をして然るべきだろう。市民がそうした価値あるゴールを目指す限りにおいて、自由という概念がその道をふさいではならない。

キャス・サンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』(毎日新聞社、2001=03年)127、131頁

ラジオ、テレビ、そしてウェブサイトで、別のプログラムよりも頭を使い、面白くないかもしれないが、ためになるプログラムを選択することがある。消費者の立場に立てば、それが長期的な利益にはならないことをもって、その選択を嘆くかもしれない。実際に嘆こうと嘆くまいと、人々は然るべき理由があってそうするわけであり、それは本人はいわずとも知っている。

以上の点は、公開フォーラムや一般マスメディアの最重要な機能の基盤になっている。公開フォーラムやマスメディアは、無数の選択肢がある世界でも予期しない巡り合わせを可能にし、選好が自由に形成されるように手助けしてくれる。その意味では、それらは教育制度の延長である。実際に公開フォーラムやマスメディアは一種の成人教育をほどこしているのであり、それは自由社会にとってかけがえのないものだ。この役割を果たす制度を政府が直接に管轄するかどうかは問題ではない。大事なのは、公開フォーラムやマスメディアが存在することである。

キャス・サンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』(毎日新聞社、2001=03年)122頁
「協働」は、学問的には行政学の領域において「組織」の中心概念を構成する用語として用いられ、他方、社会現象の分析理解の面では複数の行為者が共通の目標達成にそれぞれ主体性をもって取り組む関係状態を説明する用語として使われていることが分かる。そして、その関係状態こそが実体論的には「組織」そのものを指すとして用いられているのである。そのように捉えると「協働」とは、ある種の目標達成のために関係者の主体的な役割が体系化されている状態を意味し、その状態を組織という概念で捉えているといえよう。
荒木昭次郎「自治行政における公民協働論 ―参加論の発展形態として」『東海大学政治経済学部』28号(1996年)2頁
目的合わせのメカニズムとして相互に重なり合う、市場、法、職業倫理などの構造は、それぞれ、どの点で異なりどの点で似るのか。また、完全なリバタリアニズム、完全なパターナリズムは虚構として退けなければならないが、目的合わせのメカニズムのそれぞれが機能するのは、その中間どの領域どの範囲でなのか。(中略)そうした方向づけをする権力現象をどう理解するか。機能と構造間の相互影響をそこにどう織り込むか。こうして、整理・分析の枠組み自体がさらに問われなければならない。と同時に、そうした分析枠組みが許容する範囲内で可能な諸要素の組合わせの中に、現実の事例を位置付けて、その理解をさらに進めなければならない。
木原英逸「専門性と公共性 —社会的認識論の観点から」小林傅司編『公共のための科学技術』(玉川大学出版部、2002年)79-80頁
CSのメディア研究の文脈においても、モーレイが「読書という比喩(reading metaphor)」の物象化(解釈を生む読書をメディア消費の典型としてしまうこと)として指摘しているし、また「多くのメディア利用における明白なまでの無意味さ(meaninglessness)は、抵抗というよりもルーティーンという観点において説明されうる」として、CSのメディア研究における「意味充溢の誤謬(fallacy of meaningfull-ness)」を指摘したハーメスにも同様の議論は見受けられる。「意味充溢」を前提とした「解釈学的受け手」概念は、メディアリテラシー一般を考えるうえで、(拒絶する必要はないが)相当に限界を内包したものであるといわねばならない。
北田暁大『〈意味〉への抗い ―メディエーションの文化政治学』(せりか書房、2004年)38頁

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