Life is JAZZ! and Photo is JAZZ!!
Let's get funky! ;-)
I love photo, Newton, iPhone and Macintosh.
ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう
ぼくは東京の東側に生まれ育って、そこで生活し写真を撮ったりしているわけだけど、そういう風にかかわっている以上、その地域や町に写真家としての責任があると思うんです。勝手に写真を撮っておしまいというのではなくて、写真によって何かをお返ししたい。それは端的に言うと、学生や写真家以外の人々に「写真を発見してもらいたい」ということです。
銭湯で写真展をやると近所の人たちがお風呂に入りに来て、展示している写真にも目を向けるんだけど「上手いねえ」なんて誰も言いませんよ。それより「へー、こんなものも撮るんだ」って言うね。こんなものも撮っていいんだ、これも写真なんだ、というのが「写真を発見する」ということでもあると思うんだよ。
ネット・ケータイ・SNSが、仕事とそれ以外の時間と場所の境界を取り除いている、というインフォグラフィック。
臨床哲学を標榜する鷲田清一先生が、ご著書「聴くことの力」の中で、こんな有名な事例をだされています(鷲田 1999)。
場面は、末期医療の研究者による質問紙調査の質問項目でした。
あるガン患者が、
わたしは、もうだめなのではないでしょうか?
とあなたに語りかけてきます。
あなたなら、何と答えるだろうでしょうか。1.「そんなこといわないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます
2.「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える
3.「どうしてそんな気持ちになるのと聞き返す」
4.「これだけ痛みがあるとそんな気にもなるよね」と同情を示す
5.「もうだめなんだ・・・と、そんな気がするんですね」とかえすさて、上記の質問に対する、あなたの答えはどれでしょうか。
調査の結果、精神科医をのぞく医者、および医学生は1を選ぶひとが多かったそうです。
看護師の場合は3。精神科医が選んだのは5だlったそうです。
皆さんは、いかがでしょうか?
僕ならば、たぶん「2」を選んでしまうような気がする。言うまでもなく、5は、患者の語りかけに対して何も「答えていません」。1のように「励ます」わけではなく、2のように「示唆」を与えるわけでもありません。また3のように「理由」を問うわけでもないですし、4のように「同情」を示すのでもないのです。ただ単に「受けとめる」だけなのです。
受け止める、かぁ・・・。
なかなかできないなぁ。
僕は、たぶん「示唆」を与えてしまうな。
「地下鉄のバイオリニスト」
一人の男がワシントンDCの地下鉄駅構内に立ってバイオリンを弾き始めた。
1月のある寒い朝 だった。彼はバッハの曲を6曲約45分間演奏した。その時間帯はラッシュアワーで、約1000人がその駅を通った計算だ。ほとんどの人たちは仕事に行くと ころだった。
3分を過ぎた所で、一人の中年の男性が音楽家が演奏していることに気づいた。彼は歩くペースを緩め、数秒間立ち止まったが、 やがて自分の予定に急いで戻って行った。
1分後、バイオリニストは最初の1ドルのチップを受け取った。一人の女性が箱にお金を投げ入れ、 そして止まることなく歩き続けた。
数分後、壁にもたれて彼の音楽を聴く者がいたが、その男性は腕時計を見てまた歩き始めた。彼は明らかに 仕事に遅れていた。
もっとも注意を払ったのは3歳の男の子だった。彼の母親がその子を引っぱって急ごうとしたが、その子は立ち止まってバ イオリニストを見ていた。最後に母親が強く押したので、その子どもは何回も振り返りながら歩き続けた。このような動作が他の何人かの子どもたちによって繰 り返された。親たちは、例外なく、子どもたちを先に急がせた。
その音楽家が演奏した45分間で、わずか6人が立ち止まってしばらくそこに いた。約20人がお金を彼にあげたが、ペースを緩めることなく歩き続けた。彼は32ドル集めた。彼が演奏を終えると、辺りは静かになったが、誰もそのこと に気づかなかった。拍手する者はだれもいず、だれも気づかなかった。
誰も知らなかったが、そのバイオリニストは世界の最も優れた音楽家の 一人であるジョシュア・ベルだった。彼はこれまで書かれたうちで最も難解とされる曲のひとつを演奏した。350万ドルの価値あるバイオリンで。
地 下鉄で演奏する2日前に催されたジョシュア・ベルのボストンでのコンサートは売り切れていた。そのチケットは平均で100ドルだった。
こ れは本当の話だ。地下鉄駅でジョシュア・ベルがお忍びで演奏することを企画したのは、ワシントンポストで、これは人々の認知、テースト(嗜好)、優先順位 についての社会実験のひとつだった。
その企画の概要はこうだった。
ありふれた環境で、都合の悪い時間に、
私たちは美を認 知するか?
足を止めてそれを観賞するか?
予想できない状況でも才能を認知するか?
この経験から得られる結論のひとつはこ うだろう。
世界最高と言われる音楽家のひとりが最高の作曲と言われる曲を演奏するのに、一瞬たりとも立ち止まって聴くことをしないのなら ば、私たちはどれほどのものを見過ごしているだろうか?
— 玄のリモ農園ダイアリー: 地下鉄のバイオリニスト (via last-night) (via resonance-1111) (via ka-ri-ko) (via hatron) (via lovecake) (via petapeta) (via shinoddddd) (via atorioum) (via vmconverter) (via loco2kit) (via masterkohta) (via hsmt) (via ittm
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(via mihomihosuzuko)
(via ishida) 2010-05-11 (via gkojax-text)
(via fuyuhikoikeda, fuyuhikoikeda)ランナーに一般的なケガ・故障についてのインフォグラフィック。僕は腰に注意したいと思います。あとは、以下に、効果的な予防策を訳しておきました。
- ウォームアップは、短いウォーキング → ストレッチという手順で。
- ランニングをする前と後に、特にアキレス腱のストレッチをする
- 走り追えた後に、短いウォーキングをする
- 毎日走らない
- 平らなところでランニングをする
- 歩幅を短めにする
- ランニングをしない日に、筋力強化のエクササイズをする
- 軽い靴を履く
- 十分な栄養を食事やサプリで摂取する
- 水分補給をする
(via Common Runner Injuries [infographic] | Daily Infographic)
単語を並べただけで恣意的なものはない、とのGoogleの説明もあるが、Googleに意図的にキーワードを教え込むことは可能で、それを一般にはSEOと呼んでいてビジネスにもなっている。
Twitter、2ちゃんねる、ブログなどで恣意的なキーワードの関連づけを作ることができ、それを元に予測キーワードを提供しているのわけで、これは身近かつ、なかなか怖い問題。
もしくは、有名税という言葉は死語になり、ネットの前で、誰でもが自分の名前に対して何らかのアクティブな防御策を採らなければならなくなっている。
…
銀塩写真。銀粒子が生み出す魅惑の世界。
廣見恵子(Hiromi Keiko)のTwelve Tribesシリーズの1枚に写る蝋燭は今にも揺らめきそうで、その空間には柔らかな幸せと適度の緊張感が広がる。ニール・カサールの写真からは紫煙が立ち上って行くようだ。
全ての写真の水、空気、物体。そして影の中のディテール。粒子の集合体にうっとりする。
さらに地下に展示されていた写真達も圧巻だ。
ロバート・フランクの「Andrea Died」。コラージュされた写真とそこに認められた文章が涙を誘う。
高梨豊の写真のうち、三島由紀夫が「眠る姿は本邦初公開」と言って撮らせた『寝室で眠る三島』の暖かくも冷たく張りつめた空気。
田村彰英の「雨に溺れて」は、1枚目は夜の鉄橋下を流れる濁流の迫力に圧倒され、2枚目に昭和ならではの切なさを感じた。
田中長徳の2007年のプラハ#24は光の粒が眩しい。百々俊二の甲子園は観客の熱気が伝わってくる。
などなど…
(銀塩)写真好きだけでなく、全ての人に見てもらいたい写真展だと思う。
ギャラリーバウハウス「ゼラチンシルバーコレクション」
会 期 / 開催中~3月31日(土)
時 間 / 11:00~19:00
休 廊 / 日・月・祝
入場料 / 一般・学生 500円 *幼児・小学生は無料
白い壁。そこに開いた窓の雨粒に視点を合わせる。外の景色はその窓越しにボンヤリとその姿形を見せ、次第に過ぎ去っていく。
江本典隆さんの写真展「ロマンスカー」はそんなイメージを抱かせる写真たち。
http://moriokashoten.com/?pid=39882616
森岡書店の白い壁に掛かった写真達は、まるでそれ一枚一枚が窓のように思わせられた。
主役は雨粒でも、その先にボンヤリと見える場所や物、人でもない。
前回の「r」がビニール傘に付いた雨粒と夜の街が妖しく放つ光との写り込みや反射による光の共演だとしたら、今回は窓越しの雨と風景との間にある空気が主役なのだ。撮影者とその視線の先との「狭間」が観る者に何かを想起させる。そんな写真だった。
江本さんは、数多くの写真展を観て、その感想をTwitterにアップする。一回のツイートでは収まらない事も稀にあるが、基本的には140字でポイントや私見をまとめ上げる。それは今回のご自身の展示でも、来客に対して客観的に作品の説明をするスタンスにも繋がっている。
見に行ったのは最終日。着いた時には窓から入る自然光で見る事が出来、しばらくすると部屋の電気が付けられた。それが、まるで時間とともに移動する電車を思わせてくれた。
江本さん曰く、「もう(雨粒のシリーズは)やらない」と言っていたが、個人的にはいつかまた、数年後に彼の心の琴線にひっかかった【雨粒とその先との狭間】を見てみたい。
(この展示は既に終了しています)
そりゃね、ソフトバンクが、適していないかもしれないロケーションにアホみたいに携帯基地局を立てて「基地局数No.1」とか言ってその実、実際の品質はもちろん干渉で落ちている、なんていう状況なら、ソフトバンクユーザは宣伝のために品質落とされてかわいそうだな、っていう、対岸の火事で済んでいたんですけど、残念ながら、今のAP乱造だけは、そうじゃありません。みんなの共有帯域で運用されるWi-Fiを無計画にばらまいて莫大な干渉を日々増やし続けているんです。 無計画のバカ、というだけならかわいいものですが、残念ながら、今ソフトバンクがやっていることは、2.4Gに対するテロリズムです。宣伝のためのAP数稼ぎと引き換えに他人を巻き込んだ環境汚染を進めているんです。
LIFE magazine, December 26th, 1969
The ’60s: Decade of Tumult and Change
“It is tempting for historians — and perhaps even more so for journalists — to paste a specific label on a decade. LIFE has labeled this special issue ‘The Decade of Tumult and Change.’ It was certainly that.
And yet the significant moments of a decade rarely begin with the opening year and then stop neatly on calendar cue ten years later; men and events are not so tidy with time. The last decade in America that perhaps deserved a single, embracing label, was the ’30s: surely it was a decade dominated from beginning almost to end by the Great Depression. The ’40s, however, were sharply divided between World War II, over in 1945, and the post-war years, a period for America of worldwide involvement and rebuilding. Nor did the second phase of the ’40s end with the decade. It continued into the ’50s, which eventually became a period of relative tranquility and peace, of the cold war and the silent generation.
The ’60s, a time of tremendous forces and changes, will be analyzed and argued about for years to come. But we suggest that this decade, in terms of American life and the American scene, breaks into two fairly distinct parts. In the first, there was a brisk feeling of hope, a generally optimistic and energetic shift from the calm of the late ’50s. Then, in a growing swell of demands for extreme and immediate change, the second part of the decade exploded — over race, youth, violence, life-styles and, above all, over the Vietnam war. These explosive years will carry over into the ’70s, and it is impossible to predict when they will end.
The great trends and themes of this turbulent era were, indeed, already in motion during the early years of the ’60s, but they became dominant only in the second half of the decade. If a single event can be picked to mark the dividing line, it is not the assassination of President Kennedy in 1963, an isolated national tragedy brought about by the act of a single megalomaniac, but the Watts riots in Los Angeles in August 1965. It was Watts, sudden and violent, that finally ripped the fabric of lawful democratic society and set the tone of confrontation and open revolt so typical of our present condition.
The tumbling years began with a new President inviting his countrymen of all ages to accept a share of the burdens of leadership. This invitation, with its eloquent appeal to idealism, reached the young of America, and they responded not only by joining the Peace Corps but by beginning to study the possibility that they had an urgent stake in the quality of American life. This involvement would lead, eventually, to enormous outbursts of protest against a profusion of targets.
In these early years [of the decade], despite Russian dominance in space, the Bay of Pigs, the small but growing conflict in Vietnam, the backlash against civil rights action and the rising black unrest in the cities, there was a certain optimism that good ends could be accomplished in an orderly and even joyful fashion. The country was eager for heroes and signs of national achievement, and John Glenn provided both when, in the winter of 1962, he orbited the earth three times. And then the President was shot. The long weekend of mourning brought us closer together as a people than we have been at any time since. The sense of disillusionment and of important things begun but never completed ran parallel with grief. Lyndon B. Johnson’s first years in the White House, though marked by proclamations of the Great Society and outstanding congressional action, particularly in the field of civil rights, were accompanied by deepening involvement in Vietnam. By the end of 1965, Vietnam had become a real war — and a national trial. At the same time, American viewers watched in nightly disbelief television film of rising disorders in their own land, in their own streets and in their own campuses. The explosive years have arrived.”
I have THIS issue! :)
コダック プロフェッショナル エクタクローム及びエリートクロームフィルム
製造販売中止のお知らせ
昨日までおよそ半年間、地元有志による自主制作映画のスチール担当をやっていました。 「スチール担当」とは映画のポスターや宣伝材料、パンフレットなどに使われる写真を撮る人の事です。 3月にふとした話から出てきた架空の映画タイトル。 せめて「それらしい」ポスター写真を撮ろうと云う事になり、自分がその撮影を受け持ちました。 その写真からさらにイメージを膨らませ、主役と監督とで脚本作りが始まった4月。 実際に役者となるメンバーが初顔合わせした5月。 クランクイン、そしてトントン拍子で撮影が進み、スムースに3分の1を撮り終えた6月。 スケジュール調整がつかず、キャストの変更があり、天候にも恵まれなく、文字通り「暗雲」の7月。 夜の繁華街や海上での野外撮影、某所や某宅を借り切っての室内撮影、細かな撮りこぼし等をフォローしながら、なんとか終わりが見えた8月。 そして昨日、遂にクランクアップ。 本当だったら皆で「お疲れさま〜!」と拍手をしたり、主役が監督に花束を渡したりするんだろうなと思っていたけれど、現実はそう甘くない。 押せ押せのスケジュールの中、なんとか時間を工面して参加している人ばかりなので、途中で泣く泣く帰宅する人や、その人を送った帰りに迷子になる準主役w。 早く帰る人を送る車に監督も乗っていってしまい、気がついたらムービー担当とスチル担当、ヒロインの3人が砂浜に残されました。あとから迷子になった準主役も合流しましたが、「え?あれ?みんなは?」状態。 なんだか昨日の撮影自体が喜劇映画のような、しかもなんだか尻切れとんぼのようで、感慨に耽るような終わり方ではなかったけれど、まぁドタバタしていた我々にふさわしいクランクアップだったのかもしれません… …でも、近いうちに、撮影お疲れさま会はやりましょうね。全メンバーが揃ったところを一度も撮れなかったので。 これから監督と編集担当のお二人は編集に追われる事になるのでしょうけれども、とりあえず一段落ついたという事で、本当にお疲れさまでした。 自分も大量に撮った写真の中から、用途別にセレクトしたり、公開と同タイミングで行なう(はずの?)写真展の写真選びなどを頑張らなくては。
リコーGXRのMマウントユニットは勿論モニタ応募しましたが、ものの見事に外れました。 当たればラッキーくらいに思っていたのですが、外れるとやはり悔しいですね(当たり前か)。 そして、今回の作例を見たら欲しさ倍増。 しかし、その一方でSNAPSHOT SKOPAR 25/4(LTM)の色と周辺光量落ちが好きな自分には、もしかしたら好みが合わないかも…などと自分に対して言い訳をしつつ、R-D1sのサブカメラ、いやもしかしたら逆になるかも?と思っているので非常に悩んでいる今日この頃。 どうしようかなぁ…
御礼:「広山流 青山教室 作品発表会」終了 6月17日・18日に[ギャラリー樋口文庫]にて行なわれました、いけ花の「広山流 青山教室 作品発表会」は、おかげさまで大勢の方々がご来場くださいました。 お足元の悪い中にも関わらず、ご来場くださいました皆様におきましては、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。 生け花展に写真を展示させていただくという事が決まってから、「敢えて花の写真ではなく、でも生け花と関係のあるものを」と考え、限られた時間の中で試行錯誤しながら生み出した今回の写真達ですが、皆様から口々に、 「視点を変える事で、普段何気なく使っている、剣山や鋏などの道具、そして花器の持つ優美な形と質感に改めて気付かされました」 というお言葉をいただき、自分の見せたかったものがが表現出来たのではないかと思っております。 さらに、個人的に嬉しくかつ印象的だったのは、陶磁器ならではの釉薬によって出来た微妙な凹凸を表現した写真を見て、その後実際にその花瓶を触り、写真から受けたザラツキ感を実際に肌で感じて感嘆の声を上げる方が多かった事です。主役である花を引き立てる、本来脇役である花器にも、それぞれの自己主張がある事を感じていただけたのではないかと思います。 最後になりましたが、とても有意義で素晴らしい機会を与えてくださった、「広山流いけ花 青山教室」の先生および生徒の皆様、会場として使わせて頂きましたギャラリー樋口文庫の皆様に、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
「広山流 青山教室 作品発表会」のお知らせ 来る6月17日・18日に[ギャラリー樋口文庫]にて、いけ花の「広山流 青山教室 作品発表会」が行なわれます。 今回とあるご縁から、この会場で私、志子田薫の写真を数点飾らせていただける事になりました。「いけ花と写真のコラボレーション」と云うほど大げさなものではありませんが、素晴らしい いけ花の世界 に触れていただき、またそのアクセントとして私の作品もご高覧いただければ幸いです。 詳細 日時:平成23年6月17日(金)11時〜19時 / 18日(土)11時〜17時 場所:ギャラリー樋口文庫 港区虎ノ門4-3-9 Google マップはこちら ※広山流いけ花 青山教室の情報はこちら
個展[進化論 the theory of evolution/selection]を開催します. 遥か昔、進化と進歩は同義語であった。 しかし現在進歩は、”より良い方向に進む”というニュアンスを含んでいる。 生物と同じように、町は進化を繰り返す。進歩ではなく進化。 進化の過程は時に情け容赦なく事物を淘汰する。 良いか悪いかは誰にも判らない。 その結論が出る頃には、更なる進化が訪れている。 モノクロ5点の展示になります。 ( http://ameblo.jp/db-roach/entry-10868096853.html より引用) 4月22日〜5月20日(水曜定休) TREASURE RIVER BOOK CAFE( @TRbookcafe : 千葉市中央区登戸1-11-18 第2潮ビル102 )で現在行なわれている写真展「【進化論】〜 The theory of Evolution / select」に合わせて、レセプション(と言う名の飲み会)を開催する運びとなりました。 日時:5月13日(金) 19時〜22時(途中からの入場/退席可) なお、写真展の会場としてカフェを使っておりますので、会費制とさせて頂きます。 料金は以下の通りです。 フード+ドリンク飲み放題 ¥3,500 ドリンク飲み放題のみ ¥1,500 皆様お誘い合わせの上、ぜひともお越し下さい。